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  連載コラム 2009.新年 最新号

札幌電気工事業協同組合 理事長 尾池 一仁
「私達の教育論」
 「紫煙」をお読み頂いています皆様に、改めまして2009年の新春をご健勝にてお迎えになられましたこと謹んでお慶び申し上げます。

 私は今年2月22日、還暦を迎えます。人それぞれの人生60年の歴史があります。
しかしながら団塊世代の我々は、多くの共通する人生観を共有しています。私達団塊の世代が戦後復興の下支えとして歩んで来られたのも正しい教育を受けたからだと確信しています。今回は現代の教育問題に対し、団塊世代を代表して苦言を呈させて頂きます。

 私達世代の幼年期・少年期は、三世代同居の大家族、そして厳格な父親、優しい母親、子守役の祖父母とそれぞれが子供の道徳教育の役割を担っていました。                    私達の父親は、嘘でもつこうものならば、必ず拳固が飛んで来たものです。この拳固を私達は親による虐待とは認識せず、しつけとして受けとめ、後の子供同士の喧嘩における殴り合いの限界点の見極めにも繋がったのであります。

 私達は、幼年期・少年期には両親をお父さん、お母さんと呼んでいました。やがて反抗期を迎え、大人としての自我が芽生えることにより、自らが大人としての権利を獲得したものであります。そしてこの儀式を経て、両親をおやじ・おふくろと呼べることを許されて、少年期の人格形成の最終章を迎えたのであります。 

 このように当時の子供も親も子供の権利など思いもつかず両親は子供の保護者としての義務と責任を果たしていたのであります。また、私達世代の両親はどんなに生活が苦しくとも、子供の義務教育を受ける権利を守ったのであります。そして学校の先生も親の信頼に応えるべく学校生活における父親、あるいは母親としての責任を果たしていたのであります。

 学校で私達は算数、国語などの一般的な基礎知識の習得教育も受けましたが、それに勝る「忍耐」と「規則遵守」を第一義として学んだのであります。小学校の入学前は行動規則を受けずに、大自然を相手にアウトドアライフを満喫していた私達は、小学校に入学すると小さな椅子と机の枠の中で授業中の45分間は椅子から立ち上がることも私語も禁止の世界を体験したのであります。それによって、集団社会の適応の基本である社会には規制であるとか、規則があることを知りました。また、それらを守らなければならないことを学んだのであります。

 私は、平成18年に小学校の竣工式に立ち会ったことがあります。そこで目の当たりにしたのは、前後の壁は有っても、私達が認識している廊下側の壁が無いという教室でした。もちろん入口、出口などなく、隣の教室には自由に出入り出来るという造りになっているのです。これは、如何なる理屈をもってしても承伏できぬ教育現場であります。

 昨年11月7日に「札幌子どもの権利条例」が、札幌市の市議会にて制定された所であります。近年、親による児童虐待、あるいは子供の教育を受ける権利を侵害する事例が多発していることから子供の権利を守る条例制定はもっともなことであります。

 子供は規則正しい環境の下で義務教育と人格形成の教育を受ける権利を有することは、明治維新以来の日本の教育文化であるにも関わらず保護者としての義務を放棄する親、あるいは教育者が蔓延しているのが現状であります。この歪んだ教育の環境改善には「子供の権利条例」と併せて、それを守らない保護者に対しての罰則を強化する「児童保護義務違反条例」を、追加審議頂くことが私達団塊世代の願いであります。それが実現できれば、義務教育ゆえ給食費など支払う義務はありません、などと理不尽な権利を主張する保護者に対し、「児童保護義務違反条例」を適用し、給食費支払い強制執行を行う、あるいは児童虐待の保護者の摘発に対しても有効な道が開けて来ると思われます。

 新春早々、60歳を迎える老人の愚痴っぽい紫煙になってしまいましたが、お許しを願い、皆様の今年一年がご多幸でありますことをご祈念申し上げ結びと致します。


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