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  連載コラム 2007.秋 最新号

札幌電気工事業協同組合 理事長 尾池 一仁
愛犬力丸との永遠の絆(後編)
 家族の中心にいた力丸も、今年の11月7日で12才を迎えます。人間年齢に換算しますと約70才。すっかり老犬となってしまいましたが、まだまだ元気いっぱいの力丸の胸に胸線腫が見つかったのが6月中旬のことでありました。
 大学の動物病院でのエコー検査、CT検査の結果、腫瘍が心臓を圧迫していることと、胸線腫は癌と異なり他の器官と癒着することなく単体で存在するので難しい手術ではないことの説明を受けて、私達家族は力丸の腫瘍摘出手術を決断したのであります。

 7月16日月曜日の朝、私とお姉ちゃんと力丸は、お母さんの「頑張って来るのよ」の励ましを背に手術に向かいました。10時に病院に着いたのですが、この日は手術が混み合い力丸の手術時間がいつになるかわからないとの説明を受けたのであります。私と娘は仕方なく、後で電話連絡をもらう約束で力丸を預け、帰宅することになりました。車に乗り込もうとしたとき、突然に娘のバッグの紐が切れてしまったのであります。一抹の不安を抱えながらも帰宅し、病院からの電話を待つことにしたのです。
しかし、4時になっても5時になっても病院からの連絡がありません。たまらずに6時頃に病院に電話をしたのですが、無情にも留守番電話に切り替わっていたのです。不安を抱え待つこと2時間余り、夜8時に執刀医からかかってきた電話は、「手術中であるが力丸くんの腫瘍は動脈と呼吸神経に癒着していて、全摘をするのは難しく成功の確率は5割ですがどうしますか」との内容でありました。私は「すぐに中止して縫合して下さい」と即答し、後程、連絡をもらうことを約束して電話を切ったのであります。3時間後の夜の11時に執刀医からの手術終了の電話は、「呼吸神経には傷を付けていません。しかし、自発呼吸が弱いので人工呼吸器を付けていますが命に別状は無い」との報告でありました。

 翌17日は3日間の連休明けでもあり私も娘も忙しく、3人で力丸を見舞ったのが午後の4時でありました。力丸は口に人工呼吸器のチューブ、その他点滴のチューブだらけの無残な姿で横たわり、私たちの呼びかけにもまったく反応しない状態でありました。私達の不安に執刀医は「2、3日で回復します」との答えでありました。

 18日は私と妻で夕方4時に力丸を見舞ったのですが、容態は前日と変わらず本当に大丈夫なのかと不安が増すばかりでありました。
19日木曜日、私は道工組の移動役員会で北見に出張せざるを得なく、泣く泣く力丸のことは妻と娘に託し、北見のホテルから電話で力丸の容態を確認したのですが、妻の報告は「悪い方向に向かっている」という心細いものでありました。

 20日金曜日、帰札の電車の中、午後1時に携帯電話に妻から泣きながらかかって来た内容は、力丸危篤の残酷な知らせでありました。すぐに会いに行きたくても電車の車中、居た堪れない気持ちを抑え札幌駅に着いたのが午後2時45分、すぐにタクシーで自宅に戻り待ちかまえていた妻と娘とで病院に向かいました。たどり着いたのが午後3時50分、力丸の心電図は確かな心臓の鼓動を伝え続けていました。3人で体をさすりながら「力丸」と呼びかけること2、3分だと思います。健気にも最後のお別れのため、私達の到着を必死に待ち続けたのでしょう。心電図の鼓動は徐々に弱まり、私達の願いも空しく逝ってしまいました。

 病院への不信感もあり、私は死後の処置もそこそこに力丸を一刻でも早く家に連れて帰りたく、しっかりと胸に抱きかかえ悲痛な思いで帰宅したのであります。帰りの車中、お姉ちゃんに抱かれた力丸が少しずつ冷たくなるとともに悲しみが増すばかりでありました。
力丸はいつも私のベッドの足元で寝ていましたので、いつもの所に寝かせ、3人で悲しみの一夜を過ごしたのであります。

 翌21日土曜日、ペットの葬儀場で葬儀を済ませ、火葬場で3人に骨を拾われて、小さな骨壷におさまり、力丸は帰宅したのであります。私達と力丸の波乱に満ちた悲しみの一週間は、こうして終わったのであります。

 7日前の日曜日には何の不安もなく、緑の芝生と色とりどりの花が咲く庭で、お姉ちゃんの写すカメラにポーズをとっていた力丸との、あまりにも突然の別れは私達家族にとっては、未だに信じ難いものであり悲しい悲しい現実であります。今思えば、力丸を預け、帰宅する時に娘のバッグの紐が切れたのは、「お父さんとお姉ちゃんと一緒に帰りたいよ」との知らせであったのではないかと思うと、やりきれない思いがします。

 私も身内の死には幾度となく遭遇して来ました。それはすべて覚悟の別れであり、それと同時に家族の絆が解けて残された新たな家族の絆が結ばれ、故人との思い出は徐々に忘れられて行くのが、輪廻の摂理であることを理解をしています。でも、力丸との別れはそのように考えたくないのです。
 思えば私達家族の一員として、たくさんの喜びと励ましを与えてくれた力丸との11年8ケ月の思い出は、決して忘れ得るものではなく、これからも私達家族の永遠の絆として大切にすることを力丸に約束して、溢れる涙をこらえながら22日の日曜日の深夜、ペンを置きます。

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