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  連載コラム 2007.夏 最新号

札幌電気工事業協同組合 理事長 尾池 一仁
愛犬力丸との永遠の絆(前編)
 平成7年12月25日のクリスマス、生後48日目の一匹のシーズ犬が我が家の家族となりました。
私の両手の平に隠れてしまうほどに小さくて愛くるしい小犬に、何故か強くたくましく育つように願い、人名ではあまり使われない力丸(りきまる)と名付けました。
 当時、私の一人娘は東京で大学生活を送っておりました。私は札幌から車で40分程の妻の実家で、病気がちの妻と、妻の母親の三人暮らしでありました。
 子育ても終わり夫婦の間の会話も少なくなり、更に老人同居の暗雲立ち込める家庭に、小さな小さな外交官が訪れて、おばあちゃん、お父さん、お母さんの間を行ったり来たりの毎日が始まりました。その努力が実り、三人の間の友好講和条約の締結が見事に成功したのであります。

 その後も力丸は、我が家における広報渉外担当大臣の重責を担うと共に、もう一つ重要な職務である厚生労働大臣に就任したのであります。どこかの国の大臣とは異なり、力丸は任命者である私の期待を裏切ることなく、期待以上の成果をもたらしたのであります。
 厚生大臣としての力丸の愛らしい一挙手一投足は、病気がちのお母さんの心を懸命に癒したのであります。一方、私には労働大臣として、どんなに帰宅が遅くなろうが玄関口で全身で喜びを表し迎えてくれるのです。その姿に一日の疲れも吹き飛び、明日も頑張って働く気力がみなぎるのです。
 そんな楽しい家族4人の生活が3年半続き、娘が大学を卒業し札幌に就職が決まり、嬉しいことに親との同居を希望したのであります。残るおばあちゃん一人での生活は忍びなく、毎日の散歩を通じての身体的ケアと愛玩犬としての精神的ケアの目的で、力丸はおばあちゃんと同居することとなりました。力丸から見た家族の順位は、頼り甲斐のあるお父さんが1位、自分は2位、食事担当のおばあちゃんが3位、我が儘を聞いてくれるお母さんは4位、たまにしか帰って来ないお姉ちゃんは5位と決められていました。親馬鹿ではないが、男前の力丸は、おばあちゃんとの毎日の散歩中に近所のおばさん達と遭遇すると「あら可愛いね」と言われるまで見つめ続け、アイドル犬としての地位を確立したのであります。

 私達も週末には力丸に逢うために、田舎に出かけたのであります。当然おばあちゃんから「今日はお父さん達が来るよ」と告げられると、到着するまで玄関口で待ち続けたのでありました。
力丸がおばあちゃんのケア犬としての役目を立派に勤めていた3年目の春に、おばあちゃんの大腸癌が発覚しました。手術は成功し一時は回復したのですが、その年の12月に癌が肝臓に転移し再入院して翌年2月に亡くなるまで、力丸はお父さんが抱えるバッグに潜んで病室を訪れ励まし続けたのです。

 力丸の利発な一面は「静かにしているのだよ」と言い聞かせバッグのジッパーを閉じても、病院の駐車場から病室まで身動き一つしないでじっとしていたことです。妻のたった一人の身内であるおばあちゃんが亡くなってからの力丸は、病気のお母さんを励まし、あるいは癒し、妻の心の支えとして厚生大臣の大役をこなして来たのであります。

 またも親馬鹿の一端でありますが、私達家族の言葉で力丸が理解している単語は「だめ」「待て」「いいよ」「お父さん」「お母さん」「お姉ちゃん」「おばあちゃん」「おやつ」「まんま」「散歩」「誰か来た」「帰って来る」「ねんねするよ」その他色々です。私達家族は、これらを駆使して力丸と会話をします。お母さんとの会話の一例を上げますと、力丸がジャーキーを食べたい時はまず、自分の右前足でお母さんの足をトントンとたたきます。お母さんは「何か欲しいんだね。おやつかい」、それに答え力丸はクシュン・クシュンとクシャミで返事をします。更にお母さんが「ほねっこかい」と聞いてもクシャミの返事はありません。「ジャーキーかい」の問いかけに力丸はクシュン・クシュンでジャーキーがもらえるのです。この様にお母さんと力丸は、一日中会話をしているのです。
(次号へ続く)

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